友人との話


以前、このblogに書いて、手厳しいコメントをたくさんいただいた事がありました。

お酒の席で、私のダンナが私の友人のプライドを傷つける発言をし、それ以後会っていなかった友人。
あれから一年、ようやくわだかまりが溶け、再開…。

相変わらず、快活豪快な、男っぽい女性で、楽しい一時でした。

でも、やはりお酒のせいなのかなぁ…。思っても見なかった事を言われました。

「命の操作は私は嫌い」

野田聖子さんのお子さんが、重病で産まれた事の話題が出て、彼女が「TVを見て思いっきり引いた。あんなの子供はどうなるの?TVで見せる事?自己満足じゃん」と言うので、

私は、他人の卵子を使ってああなるとは思っていなかったのだろう、健康であればこれからの高齢出産、非配偶者間の妊娠の問題に光をもたらした訳で、治療を昔から公表していた彼女が、今更、事実を伏せたとしてもメディアには知られてしまうのだろうから、広告塔として公開しているのだろう…と、一応、こっち側の見解を言った訳ですが、「命の操作」という言葉が出て、私はそれ以上何も言えませんでした。

それ以来、とくとくと考えています。

これまで彼女はもともと嫌いだったのを我慢して私の話につき合っていたのか?

という事は、他の人も、この話題が嫌いなのかもしれない…という対個人の問題。
これは反省しなくてはいけないと感じた。

自己満足という言葉に対しては、子供側にすれば同意もしつつ…、
では、本来、親達は子供の為に子供を産んだのか?親は自分の理想の家族像に従い子を産み、母性に従い養い、子供は大きくなれば「産まれたくて産まれた訳じゃない」などと思い、そして結局子を産むのだから、これが本能的な事なのかもしれない。いや、それは間違いなく生物の本能だろう。

とすれば、不妊治療に進む人間は、むしろ野性的?なのかもしれない(笑)
確かに、子供にとっても、それからの自分達にとってもリスクの高い出産をするのは理性でだけ考えられれば避けられる。それが出来ないから「私は、産みたい」←野田聖子さんの著書名 だったんだろう。

話はズレるけど、私は「自己満足=人生の意味」と考えている。

仕事の達成感というのは、他人を満足させるだけでは感じられず、自分が「いい仕事した」と思うから感じられ、それは言葉にすると「自己満足」。本来は、「自分だけの満足で他人は満足しない」って意味かも知れませんが、私の中の言葉として使っている。

私の中で、まだ答えが出てはいない。友人の話を聞き、少し自分の執着心を端から見る事が出来たというところ。
人には色々な考え方があるのだ、と改めて認識し、それぞれを自分に吸収する。それが私というアイデンティティーなのかも知れぬ…

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