父の想い出

父の命日が近づいて、ふと、子供の頃の記憶がよみがえる。

思えば、あんな酷な事を強いる父は、あの人しかいないのではなかろうか…。

あれは、私{/hiyo_s/}が小学校一年生の、ある土曜日の事。
学校は半ドンで、予定もなく家に居ると、父{/niwatori/}が帰宅した。午後から用事があり、その準備をしているようだった。

「リリリーン{/phone/}」と電話が鳴る。父に仕事の電話だった。その相手は会社に父が居ないため、自宅にかけてきていた。

話の内容から、
今日届いていなくてはならない部品が届いておらず、それは父がうっかり送り忘れたのだという事が解った。

「いやー。あれ、今日でしたっけ!? {/face_ase1/}弱ったなぁ…。今日は予定があってお届けにいけないんですよ…。」と父。

心配そうに見守る、私、母。

と、その時、
「あ、そうだ! 娘に持っていかせます!」と父が私を見て言った。

えっ!? わ、私?

着々と話は進み、私は、なんと、その部品をリュックサックに詰め、新幹線で菊名(もしくは新横浜)から浜松まで届けるという仕事を仰せつかってしまったのだ。

父によると、
私ならば新幹線代が安いし、しっかりしているし、駅までは父が送り、向こうの駅には取引先の人(もちろん知らないオジサン)が待っていてくれるから大丈夫なのだそうだ。
更に、独りではさびしいだろうと4つ下の妹{/hiyob_eye/}(乗車賃タダ?)もお供につけてくれた。

{/m_0032/}人生初めての新幹線の旅は、ここから始まった。

菊名の駅までは父の車で行き、そこから父は入場券で中にホームまで入り、目的の電車の前まで来てくれた。そして、近くの品の良いお婆さんに声をかけ、「何処まで行くのか?この子たちは浜松まで行くので一緒に座ってやってくれないか?」などと、ずうずうしく頼んでいる。
お婆さんは、不憫そうに「まぁー偉いわねぇ{/face_naki/}。私は、途中までだけど一緒に行きましょう!」
と承諾してくださって、往路の旅は、一見、お婆ちゃんと孫二人の楽しい旅であった。

お婆さんが、浜松の手前で降りると、とたんに私と妹は不安になった。

しかし、妹は、わりとアッケラカンとしていて、事の重大さが解っていないようである。当時三歳なので、そんなもんかもしれない。

浜松に着いた。 大事なリュックをしょって、妹を連れてホームに出る。

みんなが歩いて行く改札の方向に私たちも行き、しばらくキョロキョロしていると、取引先のオジサンらしき人が、大きく手を振っている。

思わず、「ほっ」とする。

これで荷物を渡せば私の任務は終わりなんだ。

オジサンは「偉いね~。ありがとう」と、売店でアーモンドチョコを買ってくれた。あの、200円くらいする高価{/kirakira/}なチョコだ。キョロちゃんのやつではない。

チョコは、当時の私には大人の味であったが、とても嬉しくて印象に残っている。

帰りの切符を買った覚えはないので、往復の切符だったのか、オジサンが買ってくれたのか覚えていない。ずうずうしい父の事だから、入場券だけで乗せたのかもしれないが、新幹線は切符をチェックしに来る可能性が高いので、さすがにお金を払ったかと思う。

さて、帰りの新幹線に乗った。
行きとは違い、ものすごく混んでいた。今思うと、土曜日の夕方の上りがなぜあんなに混んでいたのか? もしかすると日曜日だったのかもしれぬ…。

それはさておき、すっかり座れると思った座席が無かったので、お姉ちゃんの私は困ってしまった。妹は疲れていて「座りたい」とぐずる。

ふと見ると、車両の連結部分にスペースが空いていて、座っている人がいたので、私は妹をそこに座らせた。

結局、そのまま席は空かずに、元来た菊名の駅で降りた。

「駅についたら電話するように」
と言われていたので、公衆電話に背伸びをして、家に電話をかけた。

「{/phone/}ピンポンパンポーン。おかけになった電話番号は、現在使われておりません。」

なんと、ようやく父母の声が聞けると思ったら、電話が使われていなかった!!{/face2_shock_s/} 
そんなはずはない。私はいつも自宅に電話をかけているし、記憶力はとても良いのだ。

しかし、何度かけても同じ事…。

途方に暮れていると、私の名前を呼ぶ声がする。
父だった。ちゃんと迎えに来てくれていたのだった。(戻り電車の時間は解るし、当り前だ)

しかし、その時は深く考えず、とても頼もしい父に見えた。

電話が通じなかったのは、神奈川県から東京都の自宅にかけたのに03を付けなかったからからだと判明した。小学校一年生なので、そんな事は知らなかったのだね。

先日、姉の子供が中一で独りで電車に乗った事が無いという話を聞き、驚愕したが、現在は危ない人も多いので、なかなか子供を一人で出歩かせられないのかもしれない。

そう思えば貴重な体験だったのだが、、やはり、当時の連続した不安は私の心に深く刻まれていて、今でも情景が思い浮かぶのだ。

父は8年前に死去。56歳の若さだった。優しい人では無かったが、頼もしい人だったと思う。

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