カテゴリー別アーカイブ: 出産〜NICUの日々〜別れ

(21)火葬


【34日目】(入院1日目はこちら)

翌朝、ナナちゃんの時と同様、朝一番で火葬をする。
なぜ朝イチかといえば、小さな子の骨は火力が強いと残らないので、火の弱い朝イチが良いからだ。

ナナちゃんの時はダンナ両親に気を遣って、わざわざ彼の実家近くで火葬をしたが、
今回は両家から人が来たので都内で行った。

臨海斎場か桐ヶ谷葬祭場か迷ったが、
臨海だと控え室でお別れの儀式が出来るというのでそちらを選んだ。お坊さんにも来て貰った。

臨海斎場
http://www.rinkaisaijo.or.jp/
桐ヶ谷葬祭場
http://www.tokyohakuzen.co.jp/funeralhall/kirigaya.html

母が棺に入れる花を用意してくれる。クリーム色と紫色のトルコキキョウ、蘭。
前日に私達も副葬品をたくさん用意して棺の中を飾り付けて、楽しい雰囲気になっている。
手紙には、「また戻ってきた時迷わないように」と、我が家の住所を記し、折り紙を折った。
たまたま焼いてあった、ダンナ両親との旅行の写真も入れた。
母乳を入れてあげたくて、燃えるように木の升に。

数十分後、灰になったジュン君と対面。小さな骨は残っていた。
いつもふざけている姪っ子たちも、ちゃんと拾ってくれた。

その後は、みんなでお食事会をして解散。

**********回想記 おわり***********

2014年お正月現在、ジュン君の遺骨はまだ家にあります。
お墓は仮契約を済ませて、次は住職さんと会い永代供養料を納め、そこで正式に契約になるという段階に来ました。
ここ数日、記憶をたどって出産と死去について書いていたら、
やはり、妊娠に対する恐怖心が蘇ってきてしまいました(^^;;

移植周期のまっただ中に居るので、もっと明るい気持ちで挑まなくてはね。

(20)ジュン君自宅に帰る


【33日目】(入院1日目はこちら)

息子が亡くなったあと、私達は元の部屋で待たされた。
小一時間後、NICUに呼ばれると、
全ての管やテープが外され、肌着と帽子をかぶったジュン君が現れた。

こんな整った顔をしていたのか…。と驚く。
今まで顔の大部分にチューブを固定するテープが貼られていたから、どんな顔か解らなかったのだ。

夫婦で、ここは誰に似ているなどと、不思議と笑いが起こる。
この時、今考えれば、錯乱していたのだと思う。
亡くなった事の悲しさよりも、精一杯やれる事をやったという達成感、みんなが苦しみから解放されたという安心感の方が勝っていて妙にハイテンションだった。

心おきなく抱っこ出来て、私は人目もはばからず子守歌を歌ったり話しかけたりしていた。
お写真もたくさん撮ったね。後からお得意の画像加工でお口の周囲のテープの痕を消して顔の色もピンク色に修正したら、本当に可愛い赤ちゃんだった。この写真はお祖母ちゃん達にもあげて喜ばれたよ。

親に連絡を入れると、母と妹がすぐに向かってくれたようで9時頃にはやってきた。
地下の霊安室に移され、葬儀屋さんが手際よく祭壇を作ってくれる。
さっきまでミルクのにおいに包まれていたのに、お線香のにおいになっていた。

ダンナが事務的な事を手配してくれ、病院の赤ちゃん用ベッドからドライアイスの敷かれた白木の箱に息子が移された。
箱は一回り大きいものにしたので、後からおもちゃやお花をいっぱい入れられて良かったと思う。

その後、次々と看護師さん達がご焼香に来てくれた。
なんと、ジュン君の足形をとって、それに寄せ書きまでしてくれる。
素敵なプレゼントだ。ありがとうございます。

H先生と看護師さん数人は、病院から自家用車で出ていく時にも玄関で見送ってくれた。
こんな暖かい病院で過ごせて、私達親子はラッキーだったと思っている。

家に帰ると母がおでんを作って待っていてくれた。お花も準備されている。
火葬は翌日で、ジュン君の体は一晩だけ自宅で過ごした。

(19)最後の朝


【33日目】(入院1日目はこちら)

生後10日目

NICUで迎える2日目の朝。5時頃目が覚めてジュン君に会いに行く。

心拍の数値を見て、はっとする。90以下(昨夜まで110あった)になっていた。

ああ、もう、もたないのだなぁ…。さよならなんだ。

看護師のTさんに
「今日、逝ってしまうんでしょうか?」と聞くと、それについては何も応えない代わりに、夜中に心拍がかなり下がって、又、違う処置をしたと話す…。
本当に、病院側は十分やってくれたと思う。
そして息子も十分頑張って生きたと思う。
なので、「ありがとう」「がんばったね」「えらかったね」と何度も伝えた。

しばらくするとダンナも起きてきて、やはり心拍に驚いていた。
「もう心拍のテープが汚れていて正確に読めていないので、実際とは違うのですが…」と言う。

心拍計は心臓の部分に張り付いていたが、汚れや湿気で剥がれかかっていた。
貼り替えないのは、それで皮膚を傷つけてしまうからだろう。

ダンナが来るのを待っていたかのように、心拍はどんどん下がっていった。
しばらく、音楽をイヤホンで聴かせたり、子守歌を歌ったり、思い出せる限りの昔話を聞かせたり、ミルクをあげたり、出来る精一杯の事をして過ごす。

「おじいちゃんおばあちゃんを呼びますか?」と聞かれて、
「3人で過ごしたい」と応え、母とダンナの両親に電話をした。

H先生から、「ジュン君、抱っこしてあげてください」と言われ、
点滴を外してもらい抱っこした。羽根のように軽い。
呼吸器はH先生が手動のポンプで送ってくれていた。

続けてダンナも抱っこする。三人で記念撮影もした。泣き上戸のダンナはずっと泣いていた。

それまで「頑張れ!」と応援しかしなかった彼が、「ジュン。パパ、幸せだったよ」と言った瞬間、心拍は0になってしまった。

先生が何か言って、呼吸器を動かすのをやめ、「ご臨終です」と言われる。

息子の戦いは終わった。本当に頑張ってくれた自慢の子だった。

(18)がんばる息子


【32日目】(入院1日目はこちら)

生後9日目

病院の小さな個室に簡易ベッド2つ。
ダンナの方のベッドは真ん中にパイプが横断しており、とても安眠出来るモノではなく、体が痛いと言っていた。

朝、一度自宅に帰り、犬の散歩も兼ねて氏神様へ。
11時頃病院に行くと、看護師さんから、動脈管が少し細くなって、菌の数値も下がったという朗報を聞く。

奇跡…今、起きているのだろうか? ミルクやハンドパワーや家族みんなの祈りが通じているのだろうか?
そうだ、5AAの子だったのだから生命力も強い子なんだ。
H医師も、「こんなに頑張る子を初めて見ます」と褒めてくれた。男の子ほうが弱いので、こんなに持たないそうだ。

母も引き続き日参してくれて、いろんな場所にお参りに行ってくれていた。
「病院の近くの神社にも行こうかしら?」というので行く。
小高い山の上の神社は出世の神様で有名らしいが、大学病院のそばだからだろう、
絵馬を見ると、病院関係者が書いた「患者さんの力になれる仕事が出来ますように」とか、
患者さんの家族が書いた快復祈願が多い。

私も、生まれて初めて絵馬を書いた。
長男の動脈管が閉じ、健康に育ちますように」 親子三人の名前を書く。

その後、近くの店で薬膳のカレーをいただく。カレーとコーヒーの混じった独特のにおいが漂う店内。
昔バイトしていた渋谷のカレーライス屋さんを思い出しながら、しばし静かな時を過ごす。

心拍は110-120くらい(新生児は通常150前後)。 良くなっているようには見えないのだが、
数値が良くなっているので、「もしかしたら」という気持ちも大きかった。

夜、母とダンナと三人で食事。美味しい店だった。楽しい晩ご飯。

母は本当によくしてくれて、感謝。

「あなたは、ぜんぜん手がかからない子だったからね。」と何度か言われた。
おそらく、「今、手がかかっている」という事だろう。おとぼけで楽しい母だ。

(17)母乳


【31日目】(入院1日目はこちら)

翌朝、6時頃病院に電話する。
病状は変わらず、との事。

8時30分、病院へ。H先生が現れる。まるで泣いていたように目が赤くて、驚く。
この先生、いつ寝ているのだろう?どんどん無精ひげが生えてきている。
「ジュン君に触ってください。お母さんの持っている菌が、ジュン君の菌と戦うんです。」と言う。
さっそく、保育器の中に手を入れ、タッチ。
体は所々ただれていて、触れる所は少ない。ちょんちょん触ると、たまに「びくっ」として可愛い。

保育器の湿度は高く、菌が繁殖しそうな感じだが、羊水の中を再現しているので乾燥させるわけにはいかない。
温度は、この事があって、また上昇させられていた。

「他にやりたいこと事があったら言ってください。」と言われ、
「母乳をあげたいです。抱っこもしたい。」と言う。

「いいですよ。ミルクあげてください。抱っこは、まだ治療に専念させてもらって、もしもの時に…」との事。

もしもの時…。そんな言葉を聞くことになるとは。

看護師さんが解凍した母乳を持ってきてくれた。
それを、初めて見る細い綿棒に湿らせて、小さい口に運ぶ。

口には栄養を運ぶ細い管が通っていて、それを口の外で固定させている。
その横の隙間にミルクを入れると、もぞもぞ…と舌が動いて白い液体は吸収されていった。

飲んだんだ!! すごい!! 可愛い!!
この子は初めて「味」のある食べ物を知ったんだ。

母乳には悪い菌と戦う栄養がたくさんあると聞く。これで何か好転するのではないか…と、期待を持った。

不思議なもので、触ってミルクをあげてから急に息子が可愛いくなってきた。
顔はむくんで腫れて来たけれど、それがお地蔵さんのように見え、笑っているみたい。

ダンナの親が再訪した。見せるのが辛かったが、ダンナが「気の済むように」と言うので来て貰った。

ダンナは仕事でいなかったので、私の母と四人で食事した。

そうそう、母乳と言えば、私は母乳の出がよくて、この頃一回70ccほどは絞れるようになっていた。
しばらく絞らないと痛くて苦しい。
退院するときに買ったピジョンの搾乳機をいつも持ち歩いて、トイレで絞ったりしていました :malu: 。
病院ではメデラの搾乳機を使っていたけど、値段が7000円台、ちょっと高めだったのでネットのクチコミを見てピジョンに。
結果、ものすごい吸引力で、私はメデラよりも良いと感じました。オススメです。

(16)常在菌


【30日目】(入院1日目はこちら)

翌朝、早朝携帯に病院から着信。

「何かあったら電話します」と言われていたので、何かあったのだと思った。

「ジュン君の容態が変わりました。詳しい話を医師からしたいので来て貰えませんか?」

すぐに身支度をしてタクシーに乗る。区から妊娠祝いで貰ったタクシー券、こんな時に大活躍だ…。
40分後には病院にいた。

担当のH先生は出向で他の病院に行っているとの事で、違う医師から話を聞く。困ったような顔をしている。

「皮膚から常在菌(誰にでもいる菌)が見つかりました。手術をすると、そこから悪化させてしまう可能性が高く、出来なくなりました。これから菌を倒す薬も投与して様子をみます。」

ふーーん。そうなんだ。今は出来ないって事でしょ?それがそんな深刻なの?

わざわざ早朝に電話してくるような重大な事とは思えず、少し拍子抜けをしました。

しかし、よくよく話を聞くと、

手術をしない事で、悪い血が体全体に巡っている状態が解消出来ない。
そして、それが原因と思われる肝機能障害で排便排尿がうまく出来ず、体がどんどん浮腫んで行っていた。

とにかく、良い状況では無い…という説明で、
息子の為に何かしてあげたくて、自宅近くの氏神様にお参りに行く。丁度台風が来ていて、雨風がすごい。
入院する前、あんなに暑かったのに、今は寒さを感じていた。
可愛いお守りをいただいて、ダンナは職場に、私は病院に戻る。息子の保育器の周囲にはパーテーションが置かれ、私達が心おきなく過ごせる環境が作られた。この病院の方々の気配りには本当に感謝。

その後、H先生から改めて病状を聞く。
「常在菌はもしかするとお腹の中で感染したのかもしれません。」と言われる。

ジュン君の体はただれてところどころ血が出てきていた。白いクリームを塗られている。
肝機能が悪くおしっこも出ていないから体がパンパンに腫れ、色も悪くなっていた。
なんだか、これ以上の治療が可哀想で涙が出てくる。
「見ていられません」と言った。

「ジュン君、すごく頑張っているので、我々もできる限りの治療をしたい」と、
棒読みのセリフのような言葉をH先生から何度も聞いた。

この状態をホントに危篤状態というのだろう。
「24h面会出来るようにお部屋を用意します」と看護師さんに言われるが、
いても何も出来ないし、犬の事もあるのでこの日は家に戻った。

(15)退院


【29日目】(入院1日目はこちら)

引き続き29日目。
この日、私は退院した。
退院するにあたって、気になっていた元同室のTさんにご挨拶に行った。
お見舞いに貰ったカップスープやらペットボトルの水やらも貰っていただこうと彼女のベッドへ。

私が成り行きを話すと、やはり、とても心配してくれていたそうで、涙を流すTさん。
「連絡を下さいね」、と私の名刺を置いてきた。

今頃、無事出産されているのだろうか…。そうであって欲しい。
本当はママ友になりたかった人だけど、
もし私に子供が出来なくても個人的に好きな女性であった。

退院し、その足で区役所に行く。名前がなかなか決まらず、出生届を出していなかったのだ。
区役所での届け出は4年前の死亡届以来。あの時、どんより暗い気持ちでこの同じ席にいた。
それが今、出生届を出している……。私達はようやく「親」になれたんだ!!
そう思うと幸せだった。

ダンナに「幸せだね」と言い、彼も「そうだね。」と応えた。

スーパーで買い物をする。これも1ヶ月ぶりで幸せ。生魚を食べる幸せ。家で久々に愛犬に会うと太っていて驚く。←私が不在で散歩に行けなかったので…
本当に幸せを満喫した一晩。

そう、それはたった一晩の事だった。