子宮外妊娠時の記憶(2)

後日、仕事を休んだダンナと総合病院へ。

そして、2年前と同じ宣告

余談ですが、

この病院は、ARTをやってはいるものの、当時そんなに力を入れている訳ではありませんでした。
一度目の時に「妊娠したいなら検査を受けてみたら?」と言ってくれていれば…
という気もしないではありません。
当時、ダンナに拒否されると思い、(不妊治療の)話を切り出すことさえ出来なかった私です。

話を戻して

2年前と同じ手術を控えた私はダンナと共に病院の個室にいました。

「体外受精をすればきっと出来るよ。」と、子宮外の疑いが出始めた頃、ダンナから言い始めたかと思います。
私は、この人が、こんな考え方の人だと思っていなかったので、驚きました。

しばらくすると部屋に担当医が入ってきて、
また、「卵管を温存するか取るか」の選択を強いられました。

「今回はhCGがそんなに出ていないから温存が可能だ」と。
「しかし、温存は再発の可能性がある」と。
「あなた方は、子宮外といっても妊娠は出来ているんだから、体外受精という道もある」と。

この言葉に食い付き、医師にどれくらいで出来るのか?回数と金額を聞きました。

「あなたの年齢なら3回くらいで出来るのではないかしら?」
「金額は30万くらいかしらねぇ」と。

私は、
再発の恐怖におびえながら妊娠を期待するより、
体外にかけてみよう!!
と決心し、卵管を取ったのです。

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